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書道作品を掲示するのは、いったい誰のため?

2021.1.20(水)
フリーライター 西岡一紀

否応なしに「老い」を突き付けられる

仕事柄数多くの高齢者施設に出入りしました。施設の中には利用者がレクリエーションや書初めで書いたであろうと思われる書道作品を掲示してあるところが多くあります。あまりにも多くの施設で行われているので、大して気に留めることもなかったのですが、ある日ふと「これらは一体誰のために掲示してあるのだろう」と気になりました。
これらを書いたのは高齢者施設を利用されている方ですから、筆を握る力も衰え、手や腕も十分に動かなくなっているのでしょう。掲示されている書道作品の多くは、たどたどしい筆遣いでお世辞にも上手とは言えないものばかりです。
高齢者の書道作品
当然、昔からこうした字を書いていたわけではありません。むしろ毛筆で文字を書く機会は今の人よりもずっとあったでしょうから、達筆な人が多かったでしょう。高齢になり、介護が必要な状態になり、思うように昔の字が書けなくなったことは当人が一番自覚しています。そうした「自分ではとても納得できないレベルの作品」「自分の老いや衰えを自覚せざるを得ない作品」を多数の人の目にさらされて、果たして「うれしい」「誇らしい」と思うでしょうか。
では、面会に来た家族はどう思うでしょうか?自分の親や祖父母が、こんな弱々しい字しか書けなくなった事実を目の当たりにさせられて、楽しい気持ちになるでしょうか?
出入りの業者や見学者など外部の人はどう感じるでしょうか?誰が見ても「素晴らしい」と思える作品であれば、素直に褒めて会話のきっかけになったりするでしょうが、残念ながらそうした作品はほとんどありません。施設見学をすると、たまに「ご利用者様の作品です」とわかり切った説明をされることがありますが、正直いって返す言葉に困ります。
結果的に、それを見た人は誰も「得」をしていないし「良いものを見た」という気持ちになっていません。もちろん利用者が一生懸命に書いた結果ですから、そのままゴミ箱にポイ、というわけにはいきません。しかし掲示をするにしても、書いた当人の「掲示してもいい」という許可をとるべきですし、個々の居室内など不特定多数の人の目に触れないようなところに掲示すべきではないでしょうか。

子どもの習字や絵とは根本的に違う意味合い

小学生が書初めをしている様子
幼稚園や小学校では、園児や児童のたどたどしい習字や絵が貼り出されていることが一般的です。しかし、この場合の「たどたどしさ」は成長の過程です。半年前、1年前よりも上手な字を書いたり、絵を描けたり出来るようになったという喜びや、「次回はどれだけ上達しているだろうか」という希望や期待を周囲の人に与えます。当人にも「自分は絵や字が上達した」という自信が生まれます。だからこそ、多くの人の目に触れることの意味がありますし、見た人を自然に笑顔にさせる力があります。
しかし、残念ながら高齢者施設利用者の作品にはそれがありません。もし、幼稚園児や小学生の字や絵を掲示するのと同じ感覚で施設利用者の作品を飾っているのであれば、介護現場で時々問題になる「幼児言葉で相手に接する」など、「相手を子どものように扱い、尊厳を損ねている」という思考が知らず知らずのうちに出てしまっているのではないでしょうか?
西岡一紀(Nishioka Kazunori)
フリーライター
1998年に不動産業界紙で記者活動を開始。
2006年、介護業界向け経営情報紙の創刊に携わり、発行人・編集長となる。
2019年9月退社しフリーに。現在は、大阪を拠点に介護業界を中心に活動中。
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